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THE ROOTS OF THE BLUES
1920年以前

Timeline: 1619-1919
1619 最初の黒人奴隷が北アメリカに上陸。
1808 奴隷貿易禁止法。
1861 南北戦争始まる。
1863 リンカーンによる奴隷解放宣言。
1865 南北戦争終結。
1899 スコット・ジョプリンの「メイプル・リーフ・ラグ」の楽譜が出版される。
1903 W.C.ハンディがミシシッピ州の駅で、ギターの弦にナイフを押しつけながら奇妙な音楽(これがのちにブルースと呼ばれる)を演奏している男を目撃する。
1912 ブルースが初めて楽譜出版される(ハート・ワンドの「ダラス・ブルース」、W.C.ハンディの「メンフィス・ブルース」)。
1917 オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドによる史上初のジャズの録音。

ブルースのアフリカ起源

「ブルースはアフリカ音楽を起源とする」と言いきって済ますことはできないだろう。ブルースは、アメリカ南部の黒人たちのつらい経験や境遇を背景に生まれたものである。だが、ブルースの原材料のいくつかがアフリカ起源であることは間違いない。アメリカへ連行された奴隷のほとんどがガンビア、セネガル、ナイジェリア、ガーナなど、西アフリカの海岸地域の出身だった。そして、西アフリカでは歌が盛んで、あらゆることが音楽で祝われていた。

グリオと呼ばれる西アフリカの口承楽人は、ブルース歌手を彷彿させるし、ブルース歌手の苦しくうめくような、しゃがれた発声やファルセットは、アフリカの宗教儀式の名残かもしれない。アフリカでは、音楽と言語が密接に結びついて、かつてはドラムをコミュニケーションの手段として使ったが、その姿勢が、音調や音色を表現上の効果として使うブルースの演奏技巧に受け継がれている。また、バンジョーは実はアフリカから持ち込まれた弦楽器であり(これはウォロフ族の間でバンジョールと呼ばれていた)、初期のブルースの伴奏スタイルと西アフリカのバンジョーの指で弾く演奏スタイルはよく似ている。さらにはアフリカの複合リズムに西洋音楽の規則的リズムが衝突をして、ブルースの多彩なシンコペイションが生じたと言えるし、西洋の音階で言う三度の音、すなわち「ド」に対する「ミ」が、クラシック音楽の感覚で正しいとされる音程よりフラットになる傾向(ブルー・ノート)は、黒人がアフリカ音楽から持ち込んだとくに意義深い要素のひとつだ。

米国で奴隷たちはドラムやラッパの使用を禁じられた。反乱を煽るために使われるのではないかと奴隷主たちが恐れたのだ。それでも、ミシシッピ州では、原始的な「ファイフ・アンド・ドラム」が演奏され、その伝統は現在までたどり着いている。

ワーク・ソング、フィールド・ハラー

農作業の際に歌われた「ワーク・ソング」や「フィールド・ハラー」は過酷な労働をほんの少し我慢しやすくしてくれただけだったが、これらの歌のコール&レスポンス(呼びかけ応答)と呼ばれる、歌詞を繰り返す手法は、やがてブルースに受け継がれた。農園の監督官に面と向かって話せない事柄を表すために、時に暗号のような表現が使われたにちがいない。昔のブルースの歌詞には部外者にはナンセンスとしか思えないものも多い。社会状況に対するあからさまな抗議も、ブルースではまれである。ブルースは憂鬱と簡単に混同されるが、必ずしも悲しい音楽ではない。陽気で愉快な様式もある。ブルースは個人的でもあれば伝統的でもあり、ダンスするため、酒を飲んだりするための音楽ともなる。

初期のブルース

ブルースは、今日ある原型を備えてから少なくとも100年は経っているが、ブルースがいつ、どこで発生したか誰も知らない。レコードに存在する最初期のブルースマン、チャーリー・パットンはブルースの創始者ではなかった。パットンは、年輩のヘンリー・スローンなるミュージシャンから学び、ロバート・ジョンソンはアイク・ジナーマンというブルースマンに学んだ。残念なことにこれらのパイオニアかもしれないブルース歌手たちの音楽は録音されなかった。

1903年のある晩、W.C.ハンディはミシシッピ州タトワイラーのある駅で、一人のみすぼらしい風体の黒人ギタリストがボトルネック奏法で不気味な伴奏をつけながら、「サザンがドッグと交差するところに行こう」と繰り返し歌う場面を目撃した。ハンディは黒人であり、教養あるミュージシャンでもあったが、このような音楽ははじめてだった。ハンディは、敬虔なキリスト教信者から「悪魔の音楽」として非難されていたこの新しい、無名の大衆から生まれた音楽に興をそそられ、やがて自分の音楽に取りこむことになる。1912年に「メンフィス・ブルース」の楽譜を出版。1914年には「セントルイス・ブルース」の楽譜を売り出し、大成功を収める。ハンディのブルースのほとんどが、同一の2行、そして韻を踏んだ結末の1行という、3行を一連とするAABパターンで、主和音、下属和音、属和音と3つしかコードは使わず、12小節である。ハンディの成功は、この枠組の合意を促した。しかし、この基本形に当てはまらない多くのブルース曲もある。初期のカントリー・ブルースは、気分に合わせて小節が伸び縮みし、不規則なリズムが現れて当たり前。ハーモニーのつき方にもバリエーションがあり、時にはワン・コードのこともある。気ままにコード・チェンジをするジョン・リー・フッカーライトニン・ホプキンスがバンド形式で演奏すると、いつもベース奏者がオタオタすることになる。

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